an at me ♡*

台湾生活思い出日記❥❥

新たな出会いに…

 

 

日本へ帰ってきて早4ヶ月になります。

 

帰ってきてすぐにはじめた就活も無事に終わり、来年から働ける会社が決まりました。

 

思えば就活中もあの人への未練もあり、

終わりの見えない就活と断ち切れない思いと

いろいろ重なり、まぁ自分もよく頑張ったなあと思います。笑

 

 

そんな就活を終えた今、新たなバイトを始めました。

 

 

外国人の結婚、就労、家族滞在、上特の申請を行う国際法律事務所の受付と事務員として毎日働いています。

 

 

普通に暮らしていたら決して出会うことのない

壮大は人生を送ってきた外国人の方々と知り合い、手助けをすることができて

 

毎日中国語の翻訳や電話対応を行い

語学にも携えるこの上ないやりがいのある仕事に出会えることができました。

 

 

そんなある日のこと香港夫妻のお客様の付き合いで、事務所の近くにある中華料理屋にお食事をすることになりました。

 

 

どうやらその香港夫妻はその中華料理屋の家族と知り合いのようで、何故か私も夕飯に同席することになったのです。

 

 

そしてそのお店で働く従業員の男性と出会いました。家族でやってるこのお店のホールを1人で切り盛りしていました。

 

 

彼は広東省の人ですが、幼い頃から日本に住んでいたので日本語が堪能で普通にしてたら日本人そのものでした。

 

本来はただの客と従業員なのですが

香港夫妻のお客様の知り合いということもあり

彼と私は交流しました。

 

 

そんな彼は私が中国語を話すことに驚き、

すぐに仲良くなりました。

 

 

用は私の一目惚れのようなものだったのですが、彼の人柄に惹かれてしまいました。

 

 

日本に帰ってきて、あの人のことを引きずっていたことと、自分はもう誰かを好きになることはもうないと諦めていたので自分でも驚きました。

 

 

あの人とは正反対の穏やかな本当に優しい性格の人で、

私は彼に会いたいがために中華料理屋に通ったり、お昼のお弁当を買いに行ったりしてました。

 

 

そしてある日、事務所の皆さんが私の歓迎会を開いてくれることになり、また中華料理屋で歓迎会を開いてくれました。

 

 

事務所の先生と従業員の彼は少し長い付き合いのようで、融通が利くと先生はよくこのお店を愛用しているみたいでした。

 

 

しかしこの歓迎会で思わぬ事実が判明しました。

 

 

なんと彼には既に奥さんと小さなお子さんがいたのです。

 

 

私と年は近かったので、まさか既婚者だとは思いませんでした。

 

 

その時は本当にショックでしたが

初めて中国人の奥さんと一緒にお店を回す彼をみて、すぐに現実を受け入れました。

 

 

さすがに奥さんがいる人なのでこれ以上

どーこーなろうとか一切考えられなくなり

少し恋い焦がれた気持ちは綺麗に消すしかありません。

 

 

 

ついこないだ友達が不倫で泥沼になったところをみたばっかりだったのに

 

 

不倫は断固反対派だった私が

まさか既婚者を好きになっていた事実が未だに信じられなくて、恥ずかしいと恐ろしい気持ちが混ざっています。

 

 

しかし正直衝撃的で初めての出来事だったので

今でも気持ちが追いついていません。

 

 

 

事務所のすぐ近くにあるし、

これからも付き合いで使うお店だし

料理は本当に美味しいので来年の4月までの

約1年まだまだ利用するので

 

 

これからは

遠くから見れる範囲で、

1人の客として関われるといいなと思います。

 

 

些細な期間でしたが、この新たな出会いが

あの人への未練の思いを消してくれました。

 

 

こうやって少しずつ

自分に合う人と出会えていけたらいいなと思います。

 

 

ほんと人生っていつどこでどんな人と出会うか分からないですね〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幼馴染の告白

 

 

日本に帰ってきて気づけば3ヶ月経ちました。

 

 

やっと就職活動の目処がつきそうになった今日この頃

幼馴染から連絡がありました。

 

 

「実はちょっと前からパニック障害になってたの。精神科に通っていて、今は大分良くなったけど仕事は休んでる。」と

 

姉妹同然に一緒に育った彼女からの告白にかなり動揺しました。

 

 

また数ヶ月前突然電話が来た時、

彼と別れたばかりで就活に追われていた私は適当に断って流してしまったのです。

 

 

その時私の適当な対応を受けた彼女の気持ちを思うと、涙が止まりませんでした。

 

 

幼馴染の彼女は彼氏と同棲生活を始め、

仕事も順調でした。

 

それに対して私は失恋し、帰国して一から就活を始めたばかりであまりにも立場が違いすぎて彼女と接するのが辛かったのです。

 

 

しかも別れたばかりの彼から連絡が来ていて、気持ちが揺らいでた時期でもありました。

 

また留学時代の信頼してた友達と関係が変わりそうになりつつあり焦ってもいました。

 

 

もう終わった人との悩みやつまらない妬みに

振り回されて、大切な人を傷つけていた自分の愚かさを悔みました。

 

 

私は咄嗟に彼女に電話しました。

そして謝りました。

 

彼女はそんな私に対して

 

 

「心の病気だと分かって人に引かれてしまうのが怖かった。

 

事実、私自身仲の良かった友達が重い心の病気になってしまった時に彼女の事を心の中で一線を引いてしまったから。

 

まさか自分がこの病気になると思わなかったけど、自分が病気になった時に人に話すのが怖かった。

私が一度友達の事をそう思ってしまったから。

 

あなたは20年来の姉妹みたいなものだから

私の事拒絶しないって分かってた。

 

それでもやっぱり正直どう思われるか分からなくて、嫌がられると思って怖かった。

 

でも、私の分まで泣いてくれてありがとう。」

 

 

と話してくれました。

 

電話が終わった後、

自分の中でサーーっと何かが変わりました。

 

 

幼馴染の彼女は自宅治療中の辛くて苦しい時に、嫌われる覚悟で私を頼りにしてくれました。

 

 

それなのに私は終わった恋愛にしがみついたままで、

あの人にまだ悩まされて期待して、

終わりそうな友人を繋ぎとめようとしたりして

そんな人達に悩んで時間を費やしてたのです。

 

 

当たり前の事ですが、

自分を頼りにして大切に思ってくれる人達を

大事にしようと改めて思いました。

 

 

しばらくは就活を続けながら、

彼女の治療に協力したいと思います。

 

 

近すぎて見失いがちになってしまいそうな存在を、しっかりと掴んで離さないように。

 

 

そして去っていった人達を追わないこと。

 

 

長かった彼の呪縛からやっと解かれた気分です。

 

 

本当に予想外の出来事でしたが、

こうなることも、また人生なんだなと思います。

 

 

彼女の本当の笑顔が戻ることが

今の私にとって何よりも大切なことなので

 

 

まずは私に出来ることを見つけて、

彼女と一緒に乗り越えて、成長できればいいなと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本へ帰ってきました。

 

お久しぶりのブログです。

 

彼と別れて、日本へ帰ってきて早2か月が過ぎました。

 

帰ってきてから新卒で就活をして過ごす毎日なのですが、

正直まだ何があった今自分が何をしているのか分からない、

非常に情けない状況です(笑)

 

あんなに好きだった彼と別れて、日本へ戻って来て、就活を始めてと頭の中がいろんなことがグルグルしていたのですが、最近まとめてきたので

 

気持ちの整理整頓を兼ねて文章に書きたいと思います。

 

 

去年一年、台湾で彼の近くで過ごすこのできた一年間は本当に楽しかったです。

 

大好きな台湾で毎日過ごすことが本当に嬉しくて、

あの人の家族や友人ともっと知り合ってゆき、仲良くなり幸せでした。

 

私は彼と結婚して台湾に一生暮らして骨も埋められるくらい好きだったし、

それくらいの覚悟もありました。

 

それほど好きだった彼とどうしてどうして別れてしまったのか、

とても簡単な理由でした。

 

 

まず、“好き”よりも“しんでい”が上回ってしまったこと。

そして、あの人の中に私の存在がもう必要ないことがわかったから。

 

 

今思うとこの二点が最大の原因でした。

気づいて気づかぬふりをしていました。

 

最初は優しくて、一生懸命で、頼もしくて、好きでいてくれて、

あなたに純粋で好きでいられた彼との関係が

 

いつの頃か

お互いの不満をぶつけること、すれちがい、

どっちかが我慢するばかりで

体だけ繋がって求められる関係に疲れてしまっていました。

 

そしていつもお互いに悩まされて、

彼に疲れる自分自身に一番疲れてしまいました。

 

私は親友と思う女友達といる時は

涙ができるほどふざけてあいます

 

しかしそんな親友たちからは 

 

「彼氏の事になるということもメンヘラになるよ」

 

「この今まで一緒にいてもストレスが溜まるだけで幸せになれないってわかってるでしょ」

 

とよく言われました。

 

本来好きな人と一緒にいることは幸せなことなのに、

どうして自分は違うんだろう?という違和感と不信感が強くなっていきました。

 

自分も好きな人といる時は、

いつも笑顔でいる自分でいたい。

そんな当たり前なことも見えなくなっていました。

 

 

でも、彼だけを責任するつもりはありません。

 

男女二人が一緒にいれば、変化なんてあって当たり前で、皆それを受け入れて乗り越えて結婚して夫婦になっていくのですが、

私たちはそれが出来なくなった。ただそれだけの事なんです。

 

安月給の給料でブラックに等しい会社で毎日死ぬほど働いて、

休日の日や帰って来てからも副業で家でも働いて、やることが山積みで、

 

そんなに余裕がなかったら、多少人が変わってしまったのも当たり前で

いつもデートのことや遊ぶことばっかり考えている私に嫌気を指すのも無理はありません。

 

時間さえあれば寝る間を惜しんでも稼ぐことがしたい彼。

お金は少なくても二人で過ごす時間を切りにしたい私。

 

お互いが考える 『幸せの価値観』と 『将来の在り方』が違いすぎて

 

 

それなら互いが自分の価値観に合う人と一緒にならないんじゃないかと思うようになりました。

 

過去にも何度も別れを決意した瞬間がありましたが、

後ろ髪を引っ張られる存在がありました。

 

それはあの人のお母さんの存在でした。

 

約4年前、初めて台中の実家に行った時から誰よりも親身になって私を思ってくれたのはママでした。

 

嘘偽りなく間違えなく私の台湾の母でした。

多少気性が激しいところもありますが、

私が帰るときはいつも泣いて、電車が見えなくなるまでホームから見送ってくれた優しいお母さんでした。

 

彼方別れたらママにもう会えなくなる。

それが悲しくて躊躇していました。

 

しかし、そんな矢印先に別れを決める出来事が起こりました。

 

私は4月の頭に親友がいる北京に旅行へ行き、帰って来てから最後に彼の実家に泊まり、ワーホリのビザが切れるので日本へ帰る予定でした。

 

普段、台中の実家へ行くときは必ずママに連絡していたのですが、

今回は最後なのでサプライズで行こうと思い連絡はしませんでした。

 

いつも通り彼が駅まで車で向かいに来てくれたのですが、

私が車に乗ると方向転換し、すぐに高速道路に乗りました。

 

私は困惑しながらに理由を聞くと、

 

「母さんと喧嘩したから今日は絶対家に戻らない。一人暮らしの家の方に行く」

 

と言われ、私は仲直りして実家に戻ることを説得しましたが、

彼の怒りは尋常ではなくほど大きい喧嘩であったことが分かり黙ってました。

 

追加でママが自分で物に当たり脚を怪我したと聞くと、私も黙っていらなくなり、それでも絶対に実家に帰らない彼と車内で喧嘩勃起しました。

 

諍いの中で決定的なことを言われてました。

 

『もう彼女としての好きではない。でも女として好き人間としても好きだ。』

 

 

 

彼の冷酷さに自分の中の何かが崩壊する

勢いで別れ話を持ち出し、

私はついに離れる事を決めました。

 

彼はただのわたしの気まぐれで、一時的なものだと思って信じてはくれませんでした。

 

 

冷静さを取り戻して、久しぶりに優しくされると私も感傷的になり結局彼の家に行きました。

 

元々今日は泊めさせれないと言われていましたが、事が済んだら返され、私は台中駅付近にある安いホテルに一人で泊まりました。

 

 

翌朝ママから電話があり、昨日の一部始終を話しました。

そして電話後にlineがきました。

 

 

「あなたは良く頑張った。

なんて性質の悪い息子とは別れて正解。

あなたたち二人は性格が違い過ぎる。

日本へ帰ってもっと大事にしてくれる彼氏を探しなさい。

今までの4年間よく頑張ったから、これからは息子に会いに台湾にも来ちゃダメ。

息子の事は早く忘れなさい。」

 

 

ママにこう言われてしまっては、

何でも感じることはなく、

これでよかったんだって思いました。

 

私はその次の日に日本へ帰りました。

 

 

日本に帰ってきてからも、彼からは平然と連絡は来ます。

結局一月に2回ほど連絡してます。

やはり私の良い理解者でもあるので、就活には的なアドバイスをくれます。

 

最初の頃は彼に変えらればやりなおしたい。

友達としてならやっている。

このまた連絡を取っていれば、いつかどこかで繋がるんじゃないかと思っていました。

 

裏を返せば実はまだ好きなんだと思います。

 

 

そんな時に、大学でのある講義を思いました。

 

 

君子于役戦争に行った夫を想う妻の詩です。

 

この詩の極論は

“生別離”は“死別”よりも辛いものである。 

 

も、死が確定しているたら死を受けて供給をして、時が経てば諦めがつく。

 

しかし、生別離は何年経っても「もしかしたら、今この瞬間もどこかで生きているのかもしれない」という確信できない不安を一生背負うことになる。

 

この不安は死を受けることよりもずっと苦しいものだ。

 

私はこの授業を思い出し、今の自分に置き換わって考えました。

私もこの人から完全に離れられない、期待してしまって結局あきらめられてない。

 

結局4年間誰よりも好きだった人だったので、

どんなにひどいこと言われてもされても

簡単に離れていることはできませんでした。

 

だからこそそんなに離れなければならないのだと思います。

 

 

 

就職先が決まったと同時に本当にの終止符を打つと思います。

 

 

就活をしているうちに未来の自分が一番大切だと思うようになりました。

 

 

入りたい会社にやっと巡り合って、選考も進んでいるし

 

彼と別れてから6キロ痩せたので、、、(笑)

このまま自分磨きも頑張りたいです、

 

 

 

なにより、これから未来で出逢う好きな人のために、

今は自分のことだけを考えて頑張っていきたいとおもいます。

 

 

 

 

 

 

台湾に1年住んで変わったこと

みなさんこんにちは。

 

大分ご無沙汰更新でなってしまいました。。。

すっきり日本的にも台湾的にも年を明けてしまいました。

今年は年女なので可愛いブタちゃんを買いました(*´艸`)

 

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この空白期間、本当に時間が過ぎるのが早くて、あっという間でした。

 

間にあった出来事や、行った場所、食べたもの観たものだけどものについて、ぜひ共有したい事がたくさんあるということで、ゆっくり記事に残していきたいと思います(* ´ー` *)

 

そんな今回は、台湾に一年間住んで私自身が変わったな〜ということを綴っていきたいと思います!

(*私個人の偏見があるのですも読んでは不安な思いをしてしてしまった人がいたら申し訳ないです)

 

 

①性格が変わった

 

今までの私の性格を一言で表すと《安全圏人間》。

と言いますと、人に嫌われたくない。みんなで仲良く。

喧嘩なんてもっての他。揉め事になるくらいなら私が我慢するよ。

自分の意見をはっきり主張できない。人には優しくとにかく平和主義。

 

とこんな感じの人間でした。

中華圏と関わりがある方はもうお分かりだと思いますが、これ、こっちで最も嫌がられる性格なんですよね(笑)

 

そんなある日会社の人にこう言われました。

 

「ここは台湾だから自由に何でも言ってもいいんだよ!誰もなんでも思ってないから!」

 

 

「私たちは思ったことありのままに言ってもらいたい。

日本の女性は内向的だけど、本音を言うことは悪い事でもない、恥ずかしいことなんかじゃないよ。」

 

この言葉を言われて、肩の力がスズと抜けました。

今までは自己主張=周りと意見が違うから悪い事という固定概念があったんですよね。

でも一人ひとり自分を強く持った会社の姉さんたちを見ていると、逆に

自己主張がない=自分を持ってない弱い人間と思えてきました。

 

今では「私はこうだからこう思う」「それはおかしい、悪いと思う」と少しずつ主張できるようになってきました。

 

周りを見ていても、自分をしっかり持っている人は男女関係なく本当にかっこいいなと思います!

 

私ももっと、人から嫌われることを恐れたり、周りに合わせる自分から変わっていきたいと思います。

 

 

②結婚、恋愛に対する考えが変わった

 

これ、めちゃめちゃ大きいです(笑)

 

私やっと台湾に来たというものの、今は非常に仲良しですが

最初の半年は台湾人の彼との関係は本当に悪かったんですよね(;´∀`)

 

何がいけないのかの模索の毎日で、なにか試せば失敗で、ひたすら連絡待って、何度も別れよう別れよう詐欺の繰り返しで、今思うと散々でした(笑)

 

一体何が原因だったんだろうと考えてみたところ、↑上記が全ての原因でした。

 

今までの私は、恋愛至上主義、更に結婚願望がかなり強い人間でした。

 

①で述べた私の性格上も含め、彼に対しては嫌われたくない、早く結婚したいと強く思っていました。

なので基本お願いは何でも聞くし、反対意見とかは特に言ってませんでした。

 

また彼に会うときは服装、カバン、化粧はすべてハイブランドに揃えて常に美意識は高くしなくてはと思ってました。

 

私の中では台湾人男性は日本人女性の美意識がたかくておとしやかなところが好きと思い込んでいましたから。

 

まあ振り返ると一言、誰だって嫌ですよねこんな女(笑)

 

私もすごく嫌です(笑)

 

彼は私にずっと、「若いんだから今はやりたいことを見つけてほしい」と言ってました。

彼に依存する私の姿勢が伝わりプレッシャーになって重かったのでしょう。

私はずっとこの言葉を突き放されたよう(事実)に感じて傷ついてました。

 

そんな私も、少しづつ以前ほど彼への愛情がなくなってきてしましました。

また初めて彼に対して失望したりなどもし、2か月ほど会わなくなってしまいました。

その時期が一番辛くて一番いろんなことを考えました。

そんな私がある日ふと思ったこと

 

別に彼だけの人生じゃねーし

 

非常に当たり前の事なのですが、こんな基本的なことも忘れてたんですよね(笑)

 

本当に彼と私にとって一番いい選択をわたしなりに考え、彼の元へ行きました。

 

「少し考えてみたんだけど、今のインターンの仕事が終わったら数年日本で働こうと思うの。大学の奨学金の借金も早く返済したいし、将来のためにお金も貯めたいし、社会の勉強もしたい。」

 

と話してみたところ彼の反応は

 

「すごい!会わないうちに成長したね!!嬉しいよ!!」と

あれほど嬉しそうな彼を久しぶりにみました。。

 

「もう自分は徴兵もないし、働いてお金もあるから、次は自分が日本に会いにいくよ」

ともはや別人と思える言葉を言ってくれまました。(;_:)

 

これも非常にあたりまえのことですが結婚したら、結婚した後の時間の方が長いので、何を今急いで結婚する必要があるのだろう?と思いました。

 

20代の若い時間は自分のために時間を使おうと思うようになりました。

私は一度は中国でも生活をしたいので、奨学金を返し終わったら北京に半年くらい留学にいこうかなとも考えてます。

 

こうやって彼への依存から離れることにより、一気に仲が回復しました。

また結婚に対する執着からも解放されたのもありやっとノーストレスライフを送っています(笑)

 

今思うと日本で女子会をしても、テレビを見ても、同棲やら婚約やら結婚などの話題が後を絶たないのが私の結婚に対する執着の原因だったとも思います(´_ゝ`)

 

ちょっと仲良しの先輩が子供産んだり、友達が婚約したい、芸能人の誰かが結婚したいなど他人の結婚式事情を気にしてました。

 

でもも今はどうでももいい。(以前に比べて楽観的になっただけで本当におめでたいと思っています他人は他人の人生だし。私は私の人生。と思えるようになりましました

 

最近彼は私が「自分の意見も言えるようになった、将来の事も考えるようになった、最近は服装も化粧品もカジュアルになって、やっと素を出してくれたらいいのにと言ってくれます。

 

今では、日本人女性の化粧品も濃い!ましてやデパコスを買うのは無駄遣いだ!なんでも脱毛になんか通る必要ない!と神様みたいなことを言います(; '∀')

 

(じゃあ最初からそういえばや、、、、、、、、、、、、、、、、)

ともかくましたが、私の趣味には口を出せないと思ってたらいです(; ^ω^)

 

どこまでもしょうもない私たちですが、

しょうもないのが私たちらしいものも思います。

 

今度は作った事は、大切なのは自分が変わることなんだなと。

いろいろな人に言われてきましたが、自分で経験しないと本当に理解できないものですね、、。

 

今年で彼と出逢って4年目なのですが、

進歩が本当に遅い!

 

まあでも今もがあっての今なので、亀さんペースから、うさぎさんペースになるようにまだ頑張っていたいと思います(;´∀`)

 



台湾を選ぶ理由

 

偶然youtubeで《我在此里的理由》というドキュメントコレクションを見ました。

 

中国人女性と結婚した日本人男性が、

日本で暮らす中国人。中国で暮らす日本人。

様々な事情を持った人たちになぜ外国の地を選んで暮らしたのか?

それに住む理由は?

と生活に密着し、どちらの心情を問う組です。

 

私も今は台湾で生活しているのでも楽しい鑑賞しました。

 

それと同時に、私が台湾に住み、台湾を選んだ理由は何だろう?

台湾に来て半年が過ぎ、私が台湾を選んだ理由は、彼がいるから。

そんな単純な問題ではないと思い、過去を振り返りながら少し考えてみました。

 

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①もとより幼い頃から中華圏に興味を持っていた

 

自分でもかなり珍しい人間だと思いますが、中国へ午後に出張へいく父の影響で、物心ついた時から中華圏に強い興味を抱いていました。

 

小学生から中学生で選ぶ読書感想文はすべて三国志などの中国文学。

卒業文集の将来の夢は中国に留学して中国の文学者になること。

 

高校は中国語の授業がある総合高校を選び、二年間履修しました。

と言われる大学の中学文学科一本に絞り、

自己推薦型で入学しました。

 

 

②自分は中国に行くのだと思っていた

 

日本の高校を卒業したら中国の大学に入学しようと思っていた私。

そんな高校二年の夏、中国語の先生から上海に一週間の留学体験の参加を勧められました。

この体験は本当に良い経験となり、いろいろ考えた結果、とりあえず日本の大学に進学し、在籍中に中国に留学というように決着を導いてくれました。

 

また私の大学の中国文学科は二年次の後期に名校の南津大学に留学できるというプログラムまでいました。

大学受講の面接でも、「自分は必ず参加する!それに高校で中国語検定で取得した!!」と熱く語るように楽しくしています!(笑)

 

③突然の中国留学⇒台湾留学に変更

 

私が大学に入学した年に、北京のPM2.5の悪化が原因で、留学先が天津から上海の復旦大学に変更されました。

 

天津の南開大学に行かなくなったことはショックでしたが、

上海は好きだが、復旦大学も名校できっと良い留学体験になると思い、

来年上海に行くのを楽しみにしていた。

 

しし、二年次になった時、今度は日中関係の悪化で上海行きも中止され、

そそそこ長い歴史の中で、私たちの代から初めて台湾に変更したのです、、、、

 

④てかまず台湾ってどこだよ

 

上海⇒台湾変更は、天津⇒上海に変更のショックとは比にならないくらいのショックでした。

 

南台科技大学って何?どこ?って感じでした。

(今は南台科技大学めちゃめちゃにははちゃめちゃに大好きです)

またこの突然の変更で留学プログラムの参加を辞退する人も何人かいました、、

 

それで私は、高校の中国語の恩師に相談しにいきました。

私の先生は中国人女性なのですが「台湾??中国よりずっといいじゃない!絶対楽しいわよ~~!」と背中を押され留学を決めました。

 

⑤そして台湾のへ

 

そして台湾に留学し、すっきり台湾のとりこへ、、、、(笑)

 

当時乗る気じゃなかった留学にくわえ、失恋、台南で入院と負の連鎖が行きました。

しきり退院した直後に、本留学から帰ってきてたばかりの彼と運命的な?出会いしし、留学生活が一気に楽しませました。

南台科技大学の校舎の中にはお互いの様々な思いでがあるから好きなんですよね〜(誰も聞いてない)

 

 

⑥今台湾に暮らしていて思うこと

 

とにかく暮らしやすい。

 

なより人がいいに尽きる。

 

全体的にのんびりしていて、おおざっぱで細かいことは気にしないスタンス!

観光地に行くとノスタルジックな日本みたいな感じで素敵!

留学の頃の友達も、会社で出逢った人も一度仲良くなったら兄弟のような関係になる!

なんかあったら全力で助けてくれてる!

とにかくご飯、スイーツ、飲料、が美味しい!

日本と日本人を大好きでいてくれる!

といっろいろとあるのですが。

 

私のまわりの日本社会で働く両親、兄弟、先輩、友達を見ていて、

みんな口を揃えて「仕事辞めたい。会社に行きたくない。」って言うのです。

 

もちろん、社会には楽しい好きな仕事をしている人もいます!!

 

私自身、大学の頃体育会系のマネージャーをしていて、運営の半分は社会とわかっているのもあり、ノルマやスキルを持たない求め、大学生とは思わない忙しい殺し生活を送っています。

 

会社で昇格することが目標。日本の会社で働いて一生を家族を守っているから。だからストリートも人間関係も満員電車も残業も接待も飲み会も頑張る。

 

そんな知り合いの話を聞いていて、まるで会社のための人生のようだなと思いました。

 

私は大学のマネージャー業の忙しい殺害期にストレスで治っていたアトピーが全身で、お風呂はお母さんに入れてもららないと入れられないくらいの状態になったことがあります。

 

それで私は、これからはストレスのない生活を第一に考えることにしました。

 

なんてなく、私がこれまで日本社会に入ることは虚弱感の中でストレスだけを感じて生きていて気持ちがしているのです。

 

彼は日本の正社員がうらやましいと言います。給料が高くて安定しているから。

 

不安定な経済でお給料もそんなに高くない台湾に生まれた彼は、

「自分で努力した分だけ稼げるようになりたい。自分の好きな仕事で、だから自分で会社を創りたい。」

とかこれこれ三年は目標に向かって頑張っています。

 

しらかし起業も簡単なことではないので、借金を抱えたら私が日本へ帰って働いてと思っています。

 

また、彼だけではなく、彼のコックの友達も「いつか自分の店を持っている」と海外に修行したい、沢山貯金しています。

別の友達は去年上海で靴屋を開き、店長として頑張っています。

 

日本の友達と話すと会社や仕事の愚痴ばかり。

台湾の友達といると目標に向かって頑張る話。

 

同じ時間を過ぎるならば前向きな人たちと一緒にいたいと思いました。

 

私自身、やっぱり中国語が好きで、中国語をとんとん使う仕事がしたいです。

 

台湾にいると、四六時中中華語、夢を追うイキイキとした人たちと一緒にいられ、ほんとにストレスのないこっち良い環だなと感じます。

 

私が台湾を選ぶ理由は

日本にいるよりもずっと自分らしくいられた自分で、

前向きな大好きな人たちと一緒にいることができるからだなと思います。

 

きっと日本じゃなくて、天津じゃなくて、上海でもなくて、

台湾ならこそ見かけられた場所なんだだと思います。

 

本場の中国で文学の勉強をしたかった私は

卒業後は古典的北京へ、現代なら上海へ留学しようかどうかも考えました。

しき留学後の将来のビジョンもみえず、、、そちらまで本気にならなくて

 

でもやっぱり私の場合、夢<<<人だったんですよね。

 

楽しいことや、良い事ばかりではないですが、

時に卒業してすぐこっちへきた自分の選択を振り回ししますが、 

 

 

今は本当に台湾に来てよかったな〜と思います(*´ω` *)

 

 

 

 

 

台湾の中秋節

お久ぶりです。

あっという間に時間が過ぎて、先週中華圏は中秋節で三連休でしたね

 

みなさんそれぞれに過ぎてされたかと思います(*´ω` *)

 

 

私は今年の中秋節は彼の実家へ戻り忘れられない思い出になりました。

 


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この一ヶ月間、本当に私一人の感情の中だけが激しくゆったりでただだと思います。

 

 

 

 

 

彼は距離を置いたかったのですが

 

偶然にも私に彼と知り合いかったとなった、

ある友人が外国から台湾に帰国して会うことになりました。

 

その時々かを観察した友人がお互いに電話を掛け、ここで私たちは話して和解しました。

 

和解して、久しぶりに会うとなりました。

しずか彼方が会う日はすべて私が残業になり、本当にどうして間違っていた、、

 

そんな時、この友人がまた別の国に発信するということで、

彼が台中から友人を見送りに会うことになる、三人で食事でもなりそうだった。

 

これでやっと会えるぞ!と思いやり、なんと彼がまたもややタタキャン、、、、

とても忙しくて台北にいけないと、、、

 

怒りが爆発した私は土曜日の朝から電話ごしに怒り心頭に一方的に怒って電話を切りました。当日は予定がよくなった生理が来て生理痛で動かなかったので一日家にいてベッドに蹲っていました。

 

また、生理中でもあってネガティブが頂点を極め

彼にもなんでもない度をとったのかもしれないこの三連休は会うことはないだろうと、

てか次回会う時なんてあるのかな、、私なんのために台湾きたんだだろう、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

 

しらかし夜になり

 

「明日家で焼肉するから来ない?」

と互いから連絡が来ました。

 

なんだかんだ彼に会ったかったので、本当に嬉しくて、

日曜日月曜日で台中の彼の家に行くことになりました。

 

 

久しぶりに会った彼はまず

仕事でなんてことをしていたのか、なんでもで忙しかったのか、なぜあの時会えなかったのか、全部説明してくれました。

 

なんだかんで電話はしていたので彼の近況は分っていたのですが

 

言い訳や、口実ではない事を証明するために

仕事用のパソコンを開き、資料や手帳を見てきました。

 

また私が残業した日や、かなり遅くまで残った時間さえも覚えていて

 

必死な姿で相変わらず不器用なこの人に笑ってままいました。

 

その日の夜はお兄さん家族とみなさんでBBQをし、お兄さん家族が帰った後は彼と一緒にしました。

次の日の月曜日の午前は久しぶりにパパとママとゆっくり話して過ごしました。

 

夜に彼が台中の市内で友達と会う約束があったのでそれまではは

彼がネットショッピングの仕事をしている傍らで永遠に話していました。

 

この2日間お昼ね以外の時間は

ずっと話してていました。

 

もう知っているお互いの過去をもっともっと深く掘り下げて話して、

私たちが出会うまでについててみたら、

本当に知り合ったことが奇跡なんだいなって思いました。

 

これはどこのカプセルにも夫婦にも共通することで、

ひとつの選択が、タイミングがずれていたら出会わなかったんですもんね。

 

 

正直、台北から台中に向かう途中、

またしたら今回で彼の町に行くのも最後かもしれないって、

彼に会うまでは、心のどこかで終わらせようって思っていました。

 

正確に言うと、終わりにしようと言うことで相手の気持ちを確かめたかったのです。

今の彼に正面からぶつかるのは無意なのでで、このような背水の陣を選びました。

 

 

何度も何度も、話してみ​​ようと思ったけど

楽しそうな彼をみてると切りませんでした。

 

 

そんなこんなであっという間に時間が過ぎ台北に帰る頃のになり、

いつものように朝馬まで送ってもらいました。

 

 

車から降りようとした時、彼が私を少し止め止め

「〇〇待って、また、またね、またね、」

と車が出てくるまでずっと言ってきました。

 

 

この二年半の中でこんなのは初めてだったのでびっくりしました。

 

 

いつもバイバイする時は

「じゃあバイバイ〜」と軽かった、あっさりしているので。

 

 

私が考えていることが伝わってしまったのかなって思いました。

 

 

つくずく本当にまだまだの二人なんでもないって思います。

 

 

そしてまたこのこの1ヶ月間ある言葉に出会いました。

 


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言葉との出会いのタイミングも本当に不思議です。

 

そして感謝です。

 

 

 

 

 

まだまだ課題がたくさんさんさんだけど

 

 

知らないことも、向き合えなくちゃいけないこともあるけど

 

 

今は自分が好きになった人を、

運命を信じて頑張っていたいたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リセット

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季節外の夜桜です(*´ー`*)

できることならこの写真を撮った時へ戻って朝まで桜を眺めていたいものです。

 

台湾へ来て4か月。

本当に自分は成長したな〜と思います。

 

それは、語学の上達や生活面での自立ではありません。

 

彼から離れる準備を始めることができたのです。

 

彼とずっと一緒になりたくて台湾へ来たのに、

まさかこのような選択になるとは本当に思っていませんでした。

 

ちょっと自分自身の心の整理のために、

彼とのことを振り返りながら書きたいと思います。

 

決して彼の事が嫌いになってしまってはありません。

 

彼との会話は日に日に楽しくなり、

本当に気を使わなかったので楽です。

 

また台湾生活が嫌になり、日本の生活が恋しくなったわけでもありません。

 

ただ、疲れてしまったのです。

 

先日、どうしても許せない事が起きました。

 

大事な大事な約束を、気まぐれでドタキャンしたです。

2人だけの約束ならまだしも、彼に会うことを楽しみにした大切な第3者がいたので訳が違いました。

 

本当に許せなくて、しばらく連絡するつもりもなかったし、距離を置こうとさえ考えました。

 

しかし私はどこまでも彼に甘く、結局許してしまったのです。

 

私はそんな自分に失望したのです。

 

私はこの先、また何か起きても、絶対に彼を許してしまうのだろう。

自分の心を殺して彼との関係を維持するようにしてしまうんだろうと。

 

今回は振り返って大したことでもないのですが、

この先、女性問題やお金の問題が起きたら、私はどうしてしまうのだろう。

 

いろんなこと期待して、勝手に傷ついて、会えば好きになって、何かあっても許して、また悩んで、結局また好きで

 

この繰り返しがもう辛くて、自分自身の心から解放されたいと思いました。

 

このままだと自分が本当に壊れると思いました。

 

それと私は今ある台湾の時間も無駄にできず、

ビザが切れた後の生活も考えなければなりません。

 

自分が本当に壊れてしまう前に

 

彼と今一度、将来について真剣に話し合おうと思います。

 

実は2年前に同じことがありました。

 

彼は元々、1年の徴兵を終えたら日本へ来るつもりでした。

しかし入隊して半年経った頃、

 

「日本へは行かず就職する。台湾ではなく、海外で就職したい。」

「今は将来のことでいっぱいいっぱいだから恋愛とか考えられない。別れて友達に戻らないか?」

 

と言われたことがありました。

彼が日本へ来ることを心の底から楽しみにしていた私。

そこで私はある選択を言いました。

 

「都合の良い事言わないで続けるか、未練を残さないためにきっぱりと縁を切るかどっちかにして」と。

 

自分でこう言っておきながら、メンヘラ気質の私は返事を待つ時間は本当に悲惨で、

絶対に振られると思った私は泣きすぎか悩みすぎて発熱し、大学の授業は欠席早退、バイトは休みまくる、友達が心配してお泊り会を開いてくれるなど、今思い出すと土下座レベルでした。

 

そして1週間後彼から返事がきました。

散々悩んだみたいで答えはあげく、「私の存在を失いたくない」と言ってくれました。

 

その半年後、彼の休暇と私の予定が会うときに再会し、

私は台湾へ来ることを決めました。

 

また彼を失いかけたのはこれが最初ではありませんでした。

 

私が彼と出会った留学中、私は別の人が好きでした。

大学に入って初めてできた彼氏にひどい振られ方をした私を救ってくれた先輩でした。

 

留学中に彼からの好意には気づいてたものの、あえて突き放すために先輩の存在を告げました。

 

彼は「日本へ帰ってうまくいくことを応援してる」と言ってくれました。

 

そしてその後、日本へ帰ってから先輩と再会したら、先輩が小さい人間に見えてしまい結局付き合うことにはなりませんでした。

 

彼は私と真逆で、イベントのバイトで知り合った子と付き合いましたが、

彼女が結婚を迫ったため、すぐに別れたみたいです。

 

留学から帰った3か月はまったく連絡とりませんでした。

私が彼を恋しくなってしまい、私から連絡して再会しました。

それの次の月に彼の実家へ行き、付き合い始めました。

 

この時と2年前、一度は離れ一度は失いかけたので

彼の存在は本当に大切にしようと思いました。

 

しかし、現実は私が台湾へ来たものの、

彼は相変わらず仕事と自分の事でいっぱいいっぱいで全然会えず、

 

 

気にもとめてくれなくなりました。

 

 

私だけが思い詰めて、本当にしんどくなってしまいました。

 

 

なので、前に進むためにも

彼に2年前と同じ話をしようと思います。

 

私のことをどう思っているのか、

 

答え次第ではもう会わないし、連絡もとらないつもりです。

 

友達になってもズルズルと未練を引きずるだけので縁は切るつもりです。

 

今回ばかりは本当に振れると思います。

 

本当は彼を失った後の自分が怖いです。

 

でも、もっと手遅れになった後の方がもっともっと怖いです。

 

それならば台湾にいるうちに彼を忘れて、きれいな気持ちで日本へ戻りたいと思います。

 

本当にこの話ができるか分かりません。

 

でも頑張って話したいと思います。

 

 

『あなたが避けていた問題はいずれ運命としてやってくる』

 

『幸せになる日、避けたい日、いずれにせよその日はやってくる』

 

 

あたり前ですが状況によって刺さる言葉が本当に変わります。。。