an at me ♡*

 徒然日記

日本へ帰ってきました。

 

お久しぶりのブログです。

 

彼と別れて、日本へ帰ってきて早2か月が過ぎました。

 

帰ってきてから新卒で就活をして過ごす毎日なのですが、

正直まだ何があった今自分が何をしているのか分からない、

非常に情けない状況です(笑)

 

あんなに好きだった彼と別れて、日本へ戻って来て、就活を始めてと頭の中がいろんなことがグルグルしていたのですが、最近まとめてきたので

 

気持ちの整理整頓を兼ねて文章に書きたいと思います。

 

 

去年一年、台湾で彼の近くで過ごすこのできた一年間は本当に楽しかったです。

 

大好きな台湾で毎日過ごすことが本当に嬉しくて、

あの人の家族や友人ともっと知り合ってゆき、仲良くなり幸せでした。

 

私は彼と結婚して台湾に一生暮らして骨も埋められるくらい好きだったし、

それくらいの覚悟もありました。

 

それほど好きだった彼とどうしてどうして別れてしまったのか、

とても簡単な理由でした。

 

 

まず、“好き”よりも“しんでい”が上回ってしまったこと。

そして、あの人の中に私の存在がもう必要ないことがわかったから。

 

 

今思うとこの二点が最大の原因でした。

気づいて気づかぬふりをしていました。

 

最初は優しくて、一生懸命で、頼もしくて、好きでいてくれて、

あなたに純粋で好きでいられた彼との関係が

 

いつの頃か

お互いの不満をぶつけること、すれちがい、

どっちかが我慢するばかりで

体だけ繋がって求められる関係に疲れてしまっていました。

 

そしていつもお互いに悩まされて、

彼に疲れる自分自身に一番疲れてしまいました。

 

私は親友と思う女友達といる時は

涙ができるほどふざけてあいます

 

しかしそんな親友たちからは 

 

「彼氏の事になるということもメンヘラになるよ」

 

「この今まで一緒にいてもストレスが溜まるだけで幸せになれないってわかってるでしょ」

 

とよく言われました。

 

本来好きな人と一緒にいることは幸せなことなのに、

どうして自分は違うんだろう?という違和感と不信感が強くなっていきました。

 

自分も好きな人といる時は、

いつも笑顔でいる自分でいたい。

そんな当たり前なことも見えなくなっていました。

 

 

でも、彼だけを責任するつもりはありません。

 

男女二人が一緒にいれば、変化なんてあって当たり前で、皆それを受け入れて乗り越えて結婚して夫婦になっていくのですが、

私たちはそれが出来なくなった。ただそれだけの事なんです。

 

安月給の給料でブラックに等しい会社で毎日死ぬほど働いて、

休日の日や帰って来てからも副業で家でも働いて、やることが山積みで、

 

そんなに余裕がなかったら、多少人が変わってしまったのも当たり前で

いつもデートのことや遊ぶことばっかり考えている私に嫌気を指すのも無理はありません。

 

時間さえあれば寝る間を惜しんでも稼ぐことがしたい彼。

お金は少なくても二人で過ごす時間を切りにしたい私。

 

お互いが考える 『幸せの価値観』と 『将来の在り方』が違いすぎて

 

 

それなら互いが自分の価値観に合う人と一緒にならないんじゃないかと思うようになりました。

 

過去にも何度も別れを決意した瞬間がありましたが、

後ろ髪を引っ張られる存在がありました。

 

それはあの人のお母さんの存在でした。

 

約4年前、初めて台中の実家に行った時から誰よりも親身になって私を思ってくれたのはママでした。

 

嘘偽りなく間違えなく私の台湾の母でした。

多少気性が激しいところもありますが、

私が帰るときはいつも泣いて、電車が見えなくなるまでホームから見送ってくれた優しいお母さんでした。

 

彼方別れたらママにもう会えなくなる。

それが悲しくて躊躇していました。

 

しかし、そんな矢印先に別れを決める出来事が起こりました。

 

私は4月の頭に親友がいる北京に旅行へ行き、帰って来てから最後に彼の実家に泊まり、ワーホリのビザが切れるので日本へ帰る予定でした。

 

普段、台中の実家へ行くときは必ずママに連絡していたのですが、

今回は最後なのでサプライズで行こうと思い連絡はしませんでした。

 

いつも通り彼が駅まで車で向かいに来てくれたのですが、

私が車に乗ると方向転換し、すぐに高速道路に乗りました。

 

私は困惑しながらに理由を聞くと、

 

「母さんと喧嘩したから今日は絶対家に戻らない。一人暮らしの家の方に行く」

 

と言われ、私は仲直りして実家に戻ることを説得しましたが、

彼の怒りは尋常ではなくほど大きい喧嘩であったことが分かり黙ってました。

 

追加でママが自分で物に当たり脚を怪我したと聞くと、私も黙っていらなくなり、それでも絶対に実家に帰らない彼と車内で喧嘩勃起しました。

 

諍いの中で決定的なことを言われてました。

 

『もう彼女としての好きではない。でも女として好き人間としても好きだ。』

 

 

 

彼の冷酷さに自分の中の何かが崩壊する

勢いで別れ話を持ち出し、

私はついに離れる事を決めました。

 

彼はただのわたしの気まぐれで、一時的なものだと思って信じてはくれませんでした。

 

 

冷静さを取り戻して、久しぶりに優しくされると私も感傷的になり結局彼の家に行きました。

 

元々今日は泊めさせれないと言われていましたが、事が済んだら返され、私は台中駅付近にある安いホテルに一人で泊まりました。

 

 

翌朝ママから電話があり、昨日の一部始終を話しました。

そして電話後にlineがきました。

 

 

「あなたは良く頑張った。

なんて性質の悪い息子とは別れて正解。

あなたたち二人は性格が違い過ぎる。

日本へ帰ってもっと大事にしてくれる彼氏を探しなさい。

今までの4年間よく頑張ったから、これからは息子に会いに台湾にも来ちゃダメ。

息子の事は早く忘れなさい。」

 

 

ママにこう言われてしまっては、

何でも感じることはなく、

これでよかったんだって思いました。

 

私はその次の日に日本へ帰りました。

 

 

日本に帰ってきてからも、彼からは平然と連絡は来ます。

結局一月に2回ほど連絡してます。

やはり私の良い理解者でもあるので、就活には的なアドバイスをくれます。

 

最初の頃は彼に変えらればやりなおしたい。

友達としてならやっている。

このまた連絡を取っていれば、いつかどこかで繋がるんじゃないかと思っていました。

 

裏を返せば実はまだ好きなんだと思います。

 

 

そんな時に、大学でのある講義を思いました。

 

 

君子于役戦争に行った夫を想う妻の詩です。

 

この詩の極論は

“生別離”は“死別”よりも辛いものである。 

 

も、死が確定しているたら死を受けて供給をして、時が経てば諦めがつく。

 

しかし、生別離は何年経っても「もしかしたら、今この瞬間もどこかで生きているのかもしれない」という確信できない不安を一生背負うことになる。

 

この不安は死を受けることよりもずっと苦しいものだ。

 

私はこの授業を思い出し、今の自分に置き換わって考えました。

私もこの人から完全に離れられない、期待してしまって結局あきらめられてない。

 

結局4年間誰よりも好きだった人だったので、

どんなにひどいこと言われてもされても

簡単に離れていることはできませんでした。

 

だからこそそんなに離れなければならないのだと思います。

 

 

 

就職先が決まったと同時に本当にの終止符を打つと思います。

 

 

就活をしているうちに未来の自分が一番大切だと思うようになりました。

 

 

入りたい会社にやっと巡り合って、選考も進んでいるし

 

彼と別れてから6キロ痩せたので、、、(笑)

このまま自分磨きも頑張りたいです、

 

 

 

なにより、これから未来で出逢う好きな人のために、

今は自分のことだけを考えて頑張っていきたいとおもいます。